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由緒
草創当時は小さな観音堂であった。
享禄元年(1528年)権大僧都紹念が村人に望まれて観音堂を改築し、一寺を建立し、生久寺と名づけ開山となった。
久留米善導寺三十一世天誉が隠居し、鹿島にきて三世の住職となり、浄土宗に改め報土山無量院と名づけた。
それから本堂・庫裡・山門を建て大寺院としての伽藍(がらん=寺院の建築物)が整ってきた。
七世寂誉の寛永年間(1624~1643)、落雷のため全焼した。しかしすぐに再建され、今まで以上に人々の信仰を強めた。
九世壇誉の時、常広村の天台宗・勝久寺(生久寺)と井手村一本松の地蔵堂を併合し、四百余の檀家を得て、内外ともに勢力を拡大し、
再び本堂及びその他の伽藍を拡張して建立した。
それより念仏信仰の根本道場として二百有余年を経た。二十五世諦道の時、本堂の再建を発願し、大正十一年(1922)庫裡を改築。
その後、本堂の再建に移り、昭和十六年(1941)起工、昭和十八年(1943)2月に完成。